大学の後輩から「うちは、お盆は居ないとダメなんです。」と聴かされた時、「なんで?・・・」と疑問に思ったものです。
ダンナは埼玉でも北東部の田舎の人。義母はナスの牛、キュウリの馬をつくって、お墓まで、お迎えにいってという事をキチンとしています。
それでも、最近は子供達も就職したり、大学受験の為に予備校に通っていたりで、お盆に全員で、お迎え、送り火は難しくなりました。
昨日は8月15日、土曜日であったため、就職した息子も姪っ子も来てくれました。
毎年、義母はご馳走を用意して待っていてくれています。
今年は地元の仕出し屋で、お弁当をとってくれました。
この他に、お寿司、うどん、おはぎがある。 |
昔の人は、これだけの、ご馳走を用意して、お客さんを迎えたのでしょうね。
9人分の食器を洗うのは、毎回、大変な作業ですが私と義妹とでやります。
食器を、お返しする時に「洗っていなくても大丈夫ですよ。」と言って下さったそうです。本当に助かります。
義母から、戦死した、お兄さんの事、亡くなった人の事、いろいろな話、聴きました。
亡くなった人を偲ぶ日、あってもイイですね。
私も核家族で育ったからお盆って「おばあちゃんの家に遊びに行く(母の実家)というイメージしかなかったけど、二世帯住宅に自分の両親と同居になり、数年前に実父が他界してからはここ数日は忙しい毎日。前日に花を買いお墓の掃除。翌日提灯持って(車でだけど)迎え盆。また翌日住職が家にお経をあげに来て(日にちと午後ということしかわからないので家で待機)、そして昨日はまたまた提灯持って送り盆。今日は塔婆をもらいに行くらしい。全く知識がないので、毎年あたふた。それにミッションスクールだった私は今ひとつ仏教のルールがわからない。でも、それこそもう他界してしまったけど、ダンナのお母さんは本家の嫁だったから大変だったんだろうと想像もつかない。私には無理だ。
返信削除本当に頭がさがる。出来の悪い嫁だったけど、もっと話をしたかったなあ。ダンナは3人兄弟の長男だけど、離れていても今でもとても仲が良いのはお母さんのお蔭だよね。
私の父方の祖母もミッションスクールだったからか、迎え盆、送り盆という事は全くしませんでした。今思えば断捨離的かもしれません。本来なら、ご馳走を作って待機していないといけない立場だったのかもしれません。本当に昔のお嫁さんには頭が下がりますね。
返信削除